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 獅子がうなり、熊が襲いかかる。神に逆らう者が弱い民を支配する。
(箴言28章15節)
 
  第十七幕「You're Better Off Dead」
 
 
 破廉恥であった。存在そのものが。自分を何様だと彼は考えているのだろうか。その表情には揺るぎがたいモノに裏付けられた自信があり、このローマの石畳のように、静かで、傲慢であった。では、その傍らにいるマルグリッド・セペはどうであろうか?洗練された外面は心中を推し量る隙を与えてはくれなかった。
「なんで彼といるのか、なんて聞かないでくださいよ。お仕事以外の何物でもありませんから、答えようがありませんしね」
機先を制された志貴がうめき声を漏らす。イニシアチブを取りたがるエンハウンスが今回ばかりは黙っていることを疑問に思った者は現時点ではいない。
「さて、彼を連れてきた理由ですが、そこにいるサンヴァルツォ様に口を閉ざしてもらうためです。よろしいですね?」
最後の言葉はエンハウンスに向けられた。言外に、それ以外の者に手を出すなという意味があるのを聞いていた者のほとんどが理解した。
「……わかっているさ。だが、世の中は、そうそう、スマートにはいかないものでな」
エンハウンスが行動に移ろうとする前に、サンがビエラを翡翠に預けた。その姉である琥珀はというと、熱気に当たったかのように朦朧としている。翡翠だけは、その原因がエンハウンスにあることを、自分にも備わった能力のことを考慮に入れることで、理解していた。そういったわけで、彼女をこの場から遠ざける必要があった。
「姉さん、行きますよ」そう告げるとそれなり―――声を掛ければ振り向く程度の反応が返ってきたので、正気は保っているらしく、すぐに状況を把握して、いや、思い出してか、とにかくもビエラの手を引き、三歩ほど先で後ろを急かしている妹の期待に応えた。
 これで現場にいるのは、志貴、秋葉、サンヴァルツォ、そして彼らに相対している二人の計5名となった。
「数で勝ってるなんて思うなよ。お前らは『あのお姫様がいても』私に勝てなかったんだからな」
エンハウンスの言葉を聞いて、志貴は意を決したように眼鏡を外した。一つ。二つ。三つ……死を表す線や点が、布に染み出るようにぽつぽつと、それでいて尋常でない数が現れる。なるほど、ここはずいぶんと壊れ物が多いらしい。
「あのときと同じだなんて思うなよ。お前に対するアドバンテージも無いんだからな」
両翼にいる秋葉とエンハウンスは、片方が前に、もう片方が後ろに、それぞれ一歩ほど位置をずらす。そういった様子をエンハウンスは、横腹に下げたホルスターから取り出した、正装砲典のバレルに施されたデコボコとした紋様を擦る手に伝わる感触と似たように見ていた。「大した意味があったとしても、それは所詮はただの装飾に過ぎないさ」
 マルグリッドは、期待してはいたが、そうすんなりとはいかないのだろうと考えていた通りの状況となったので、どういう心境からか、後ろの路地の闇に消えていった。
「さぁて、始めるか。足手まといもいなくなった」
エンハウンスとしては、興味があるのはサンヴァルツォでもなく、当然ながら秋葉でもなく、自分を裏切った結果としてここにいる志貴だった。己以外の者達と相容れることに価値を見出せなかった男と、その男を否定した男の戦いでもあった。
 織り込まれていたタペストリーから紅い糸が飛び出すのが開始の合図となった。秋葉の視覚が及ぶ範囲からエンハウンスが逃れる。周りに立ち並ぶ建物の壁と壁、5メートルの間を、秋葉のピントを合わせないように、馬のごとき剛脚で三角飛びを二回ほど繰り返し、左手の建物の屋上へと姿を消す。「すいません、し損ないました」髪の色がまた黒一色に戻った秋葉が悔しさを込める。
 サンヴァルツォは秋葉の能力については何の知識も無かったのだが、彼女の視線上に置かれていた鉢植えなどがことごとく崩れ去っていったのを見て、概略は理解した。
「いや、気にしないでいい」
場慣れしているサンヴァルツォが志貴に手仕草で、エンハウンスが飛び移った建物の路地沿いにある扉から追うよう指示し、次に秋葉には、彼女の感情を満足させるように、肯定の意味で頷く。二人が入り口に向かうのを確認した後、自分はスーツジャケットの中に隠し持った十本ほどの手投げナイフの内二本を逆手に持ち、それを壁の隙間に突き立てて素早く上っていった。
 
 建物の中は闇の中から滴り落ちる柱時計の秒針の音だけが聞こえるだけだ。志貴がジャケットの懐からジッポーを取り出してそれを点けると、空家らしいことがわかった。夜逃げの後のように、嵩張る大きなもの以外は何一つ無い。板張りの大部屋の中には腐り始めた葡萄のような匂いが漂っており。それは長年染み付いた、生活の残り香であった。それでいて埃などは少なく、足元には靴の足跡らしきものもある。ヤクの売人やブローカー、或いはマフィアなどの秘密のやり取りがここでなされているのかもしれない。
 上へと続く階段がある。その暗闇の先から音は聞こえて来ず、この中に逃げ込んだエンハウンスが息を潜めているのか、それとも屋上で待ち構えているのか、どちらと判断することはできない。
「秋葉、離れるなよ」
すぐ後ろで身体をくっつけるようにしている妹に苦笑いを払いながらそう告げると、ゆっくりと階段を上っていった。
 踊り場には受胎告知を描いた油絵が、傾いた額縁に収まっている。ここに置かれたままということは模造品なのだろうか。ガブリエルの顔には染みが目立ち、まるで化粧が落ちたように見える。
「天使の顔って不気味ですわね。どんなときでも同じ表情に見えるんですもの」
秋葉の言葉に、志貴は声を立てるのを余り良しと思わない表情で振り向いたが、再び前を向いた。
「自分達のやっていることに自信がある証拠だろ?でなけりゃ、あんな風にはできない」
それに対する、それでは兄さんには自信があるのかしら、という言葉には、黙るほか無かった。自信が無いからではない。有るからというわけでもない。答えられないのだ。自信なんてのは後になってからでなければ、あったかどうかなんてわからない。それこそ、天使のように未来も過去も見通してでもいなければ……。
 
 エンハウンスは屋上で待ち受けていた。給水塔に背中を預け、何キロか先のコンチリツァーネ大通りに照らされた街灯の流れの先にある光の溜まり場……サン・ピエトロ大聖堂を眺めていた。光の奔流から零れ落ちる僅かな光さえも、彼には届きそうも無い。
「光は、光を求め、己を闇の中から開け放ち、光を迎えようとする者にしか届きはしない」
「そうやって、貴方は闇の中から光を見遣って、皮肉で自分を誤魔化している大馬鹿ものでしかない」
何時の間にか給水塔がある反対側の壁から上りきったサンヴァルツォが口を挟む。話しながら、刃がぼろぼろにこぼれてしまったナイフを指先で弄んでいる。
「埋葬機関ではロッククライムの講習もあるのかな?」
「さぁてね……あそこでは生き残る術を覚えなければ死んでしまうだけです」
「貴様は覚えられたということかな」
「どうでしょうね。自分が生きていく方法は身につきましたけど……人を幸せにする方法は全然わからないんですよ」
あはは、という自嘲を口から零しながら、二つのナイフをエンハウンスの足元に放り投げる。それを彼は踏み付けて砕く。それが脚本に書かれていることのように、ごく自然に。
「簡単だ。自分がいなくなればいいのさ」
「それは思いつかなかったわけではありませんが……到底、認められるものではありませんでしたよ」
サンヴァルツォは大振りのナイフ……スマチェットを取り出す。教皇庁において使われた凶器だ。上半身をだらりと前傾させ、間合いを計り始める。
「ならば、認めさせてやる」
「やれるものなら」
サンヴァルツォが機先を制して低い姿勢のまま一気に間合いを詰める。右手のナイフを相手の足元から上に振り上げる。エンハウンスが腰の後ろから引抜いた柳包丁のような形状をしたアヴェンジャーでそれに相対すると、辺りに金属音が響き渡った。それぞれの獲物が、ガチガチと互いの身を揺らしながら接吻を繰り返す。
「随分と面白い玩具を持ってるんだな」
「貴方のそれには適いません」
間合いがここまで近づくと、これ以上間合いが離れることは相手が許してくれない。この場合、有利なのはサンヴァルツォだった。一気にラッシュを叩き込むために、左の袖を振って掌にサーベル状の短剣を持たせると、そこから一番近いエンハウンスの急所であった腎部を切り裂こうと刃を左横方向に凪ぐも、彼が右足を後ろに一気に下げて向かって右方向に回転し、サーベルを掠めかわしながらサンヴァルツォの後ろを取る。
 サンヴァルツォは左横に転がって、振り下ろされるアヴェンジャーをかわすと、再び相対した。
「不意を突いたつもりだろうが、遅いのが致命的だな」
「遅いかどうか、その身で判断した方が良いですよ」
先ほど突っ込んだときよりも上体を上げ、両手のスマチェットとサーベルで連続的に切りこんでいく。この戦い方はスペインの騎士の決闘に際して行われるものと同じもので、切り合いながら相手を叩きのめす。こうなると長身のアヴェンジャーには不利で、防戦一方になってしまう。とにかく速い。コックが長年使い慣れた包丁で素材を調理するようにして、ただただ無心で刃が全方向から相手に襲いかかる。刃と刃の間で熱が起こり、ぶつかり合う音が段々と湿り気を帯びてくる。
 サンヴァルツォはこの音が好きだった。いつ終わるとも知れない生と死の楽曲から聞こえてくる心地よいパーカッション。そのテンポは徐々に勢いを増し、加速度的に腕の動きが早まっていく。エンハウンスがこれは堪らないとばかりにつま先に力を搾り出して飛びのくも、すぐにその間合いを詰めてサンヴァルツォがリズムを刻む。断続的にそれが繰り返される中で、エンハウンスがようやく攻勢に出る機会を掴む。
 アヴェンジャーで相手のサーベルを防いだ際に、偶然に勢い良く弾け、サーベルが飛んのだ。「運に見放されたな……いや、神に、かな?」
 力と重さ両方を使ってアヴェンジャーを振り回し、間合いを調整すると、決め手に振り下ろした。サンヴァルツォは上手く刃の力をいなして左肩部への直撃を免れはしたが、切っ先が左の上腕部を深目に抉った。とにかく間合いを離して第二打を間一髪でかわすが、上腕部の損傷によりバランスを崩し、ちょうどあった給水塔に背中をしたたかに打ちつけた。スマチェットはその際に地面に落とし、哀しげな踊りで地面を跳ねてからその身を横たえた。
 
 
「勝負あったな。小細工一切無しの勝負でここまでやったのは誉めてやる」
痛みに顔を歪めているサンヴァルツォに対して、聖装砲典を突きつける。
「……最期に娘の写真を見るぐらいの時間はもらえますかね?」
懐に右手を忍ばせる。エンハウンスは妙な真似でもしたら即撃ち殺すとばかりに睨み付けながら、頷いた。
 そっと内ポケットから取り出したビエラの写真―――中等部に編入した際に撮ったものを見ながら、自分が最期を遂げる景色が、遠方に照らし出されている我らが大聖堂が見える場所であることに、サンヴァルツォは幸運とは思わなかった。いつもそうだった。人も、神も、目の前で苦しんでいる人間に手を差し伸べなんてしなかった。だから、自分だけは、生涯において最も愛せると思ったものに手を差し伸べたのだ。この死に様は、それを皮肉られているとしか彼には思えなかった。「くそったれだ」
 思いも掛けず相手から飛び出したスラングを、エンハウンスは驚きと喜びで迎えた。「最期の言葉にしては、上出来だぜ」
「さぁ、いいから、とっととトドメをさせ」
写真を再び懐中にしまうと、覚悟を決めた。だが、エンハウンスはあらぬ方向を鑑みながらこう答えた。「生憎と、それはお預けのようだ」
 彼と同じ方向を見たとき、今までに無かった程の安堵と喜びで力が抜けてしまった。屋上出入り口には、志貴と秋葉が立っていた。
 
 
2003/7/20初稿

次回の幕を開ける

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