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  第十九幕「我が親愛なる貴方に」
 
 
 街も、人も、とにかく酷い有様だった。大通り沿いでは、投石に始まり発砲で終わるような、暴徒と警官隊の小競り合いが其処彼処で起こっていて、とある雑貨店では店主と略奪に走る者達との間で猟銃の撃ち合いがあり、更にはわけのわからない化け物を見たという通報まである始末で、この全てに対応しようとしたら、軍全体を動かす必要性すらあり、実際にそういう泣きの入った上申が通ろうとしていた。高度な政治的判断などよりも、民衆の頭にぶっかける冷水が必要だった。それでも、住宅地ではそういった騒ぎは殆ど無く、凄惨なテレビ中継を家族で楽しむ余裕さえあった。
 ソロモンのアパートへ向う中、危険が無かったわけではないが、一行は無事に目的地へと到着し、一番広いソロモンの部屋でようやく落ち着くことができた。
 翡翠は憔悴仕切った姉のためにベッドを整え、秋葉は慣れない手付きで台所を漁りながらもインスタントコーヒーや腹の足しになりそうなものを人数分揃える。水は使えなかったが、翡翠が暇なときにホテルから運んできた荷物の中に入れておいた一週間分の飲料水を使うことで事足りた。流石に体を洗い流すのは無理で、精々、どことはここに書かないが―――汗が気になる部分を濡れ布巾で拭うといったところだった。
「寝室の準備が整いました。疲れている方はそちらでお休みになられてください」
「レンちゃんとビエラちゃんは私と寝ましょうねー♪」
翡翠は、両手に華とばかりに寝室へ入っていく姉に不安を払拭するだけの溌剌さが戻っていることに安心する。先ほどまでは歩くのがやっとという具合だったので、それも当然である。
「翡翠、ご苦労様。貴方も疲れたでしょうから、こっちに来て休憩なさい。どうせ、寝なさいと言っても、兄さんを待つって聞かないのでしょうから」
かしこまりました、と杓子行儀に返事をしながら、ソファに腰を下ろす。秋葉がいれたコーヒーは、ブラックだと少しきついぐらいではあったが、眠気覚ましにはちょうど良かった。
「はぁ〜、私、ここに何しに来たんだろ」
アルクェイドが、音を立てるぐらい豪快に角砂糖をコーヒーに入れる。「志貴ったらさ、私が来たのに『それどころじゃない』って感じで、全然相手にしないんだもの。こんなことなら、城に帰って寝てた方がマシだったかも」
ビスケットをぼりぼりと噛む様は、正に不機嫌そのもので、秋葉はつい失笑してしまう。
「なによ、おかしなこと言ったかしら?」
「いえ……私も、似たようなことを考えてましたから」後ろ髪が邪魔なのか、手で一度掬い上げると、そのまま背もたれの後ろに流した。「今更、私達が兄さんの興味の対象になることなんて、ありえないのかもしれませんわね」
主人の珍しく弱気な発言に翡翠は驚いたが、同時に得心もしていた。志貴にしてみれば、思い出すことぐらいはあったとしても、またその思い出の中に戻ろうなどとは考えもしないのだろうと。
「でもさ、やっぱり志貴がいると思うと、嬉しいんだよね。何でかはよくわからないけど、志貴のこと考えると楽しいし」
それが恐らくは志貴の魅力というものなのであろうが、人間性というものに関して全く知識が無いアルクェイドがそれを言葉にするのは難しい。
「翡翠はどう思う?貴方がどんなことを思っているのか、興味があるわ」
突然、自分に話題が振られたので戸惑いはしたが、すぐに答えは見つかった。
「多分……志貴様は努力されている最中なのだと思います。お屋敷を出て、こちらに来て、シエル様と一緒に生活なされて……ですから、今はそれとは関係の無いことには、首が回らないのでしょう。私は、それを嬉しく思いますし、それとは別として、寂しくも思います。でも、遠野の家を志貴様自身が出て行こうと決心なされて、ここでそういった努力をしていらっしゃるのですから、私から何かを言おうなどとは思いません。私ができることと言えば、いつ志貴様が帰ってこられても休めるよう、ベッドを整えておくことぐらいです」
朝には、帰ってきているのではないかと思い部屋を覗き、昼にはシーツを換えながら今晩は帰ってくるのだろうかと思い、夜には裏口の鍵をわざと外す。そんな生活が続いている。辛くは無い。これは、志貴がいないことの確認作業なのだから。ただ、翡翠にはそうすることでしかそれを実感できないだけだ。
「ふぅん、翡翠も随分と喋るようになったわね」
「あっ……し、失礼しました」
「なんで謝るのよ」
本を捲るときの頁が擦れる心地の良い音と同じような笑い声が気づけば皆から漏れていた。この頁の先に答えは書かれてはいないだろう。けれども、それに頭を悩ますこともなく、頁は進んでいくのだった。
 
 
 黒いインクをぶちまけたときの、とでも例えるべき陰鬱さが建物の中に染み渡っている。人気のないそこは、本来の地下壕らしさを取り戻しているように思えるし、今までが異常だったようにも思えてくるのだった。
 ここに入るのは至極簡単だった。今日の昼頃まで陣取っていた警官隊は門の前からいなくなっていたし、入り口の警備員もゲートを開け放ったまま姿を消していた。囚人を打ち離した留置場というのが一番しっくりくるように思える。実際、ここは何がしかの囚人といえる者達が集まっていたのだから。
「局員はどこに行ったんでしょう」
「さてね、避暑にでも出かけたのかもしれない」
空調が切られている所為か、思い空気が肌に引っ付いて不快だ。このような地下の構造物の中では、それが人がいない理由になり得た。
「早速、ナルバレックに挨拶に行きたいところだが、先に志貴達と合流した方が良いだろう。地下駐車場はどっちだったか」
 
 どうにも、クジ運が悪いらしい。サンヴァルツォはそう思いながら、襲いかかってくる得体の知れない四本足の犬のような化け物を、一振りごとに蹴散らしていた。 駐車場の内ゲートを緊急用のナイフスイッチで開けると、彼らがわんさかと、ヘッドライトに誘われるようにして出てきたのだった。
「埒が開かないな」
サンヴァルツォは第一陣を一頻り片付けると、待機させていた志貴のところまで戻った。
「志貴、構わないからこのまま中に突っ込もう」
内部は以外と道幅が広いので、それも可能だった。できれば、一つ一つの曲がり角で先を確認しながら慎重に行きたかったのだが、この先もこのような様子であれば、突貫してしまった方が逆に安全なように思えた。
「しっかり掴まっててくださいよ」
「できるだけ安全に頼むよ」
エンジンを大きく吹かし、クラッチを繋ぐ。騒々しい鳴き声が辺りを埋め尽くしていった。
 
「騒がしいな」
未だ敵らしい敵と遭遇していないソロモンが、他人事のようにのんきに言う。目の前にあるT字路を右に曲がった方向から、食器棚でも倒したような音が連続的に聞こえてくる。
「私が様子を見てきますよ」
シエルの申し出に頷くと、自分とゼフィールは角の手前で壁に背を付けた。
「なんだか、彼女、随分と機嫌が良いじゃないか」
ゼフィールが煙草に火を点けながらソロモンに話を振る。どうにも、心地の良い沈黙というのは二人にはありそうにもない。
「ナルバレックを堂々と殺れる良い機会だからな。機嫌が良くもなろうさ」
「それなんだけどさ、お前、本当にそんなことができると思ってるか?」
「無理ではないが、無茶だな。はったりだけで済まないのがあの女の怖いところだよ」
こちらは出た所勝負なのに対して、相手は計画立てて今回の件を進めており、それに勝ち味も薄い。ナルバレックを屠ったところで、こちらに残るのは失業者手当てが出ない無職者という肩書きだけだった。
「パンチの一つでも見舞ったら、とっととトンズラした方が良いだろうな。これからのこともあるし」
「そうだな……」
これから、という部分が妙に心象に残った。この取り止めの無い相方は何か考えているのだろうか。自分は、惰性のままにここにいたのだから、そのようなことを考えてもいなかった。それが、不安にもなっている。
「とりあえず、終わったら食事でもどうだ?」
「悪くは無い」
「じゃあ決まりだ」煙草を投げ捨てると、それをつま先で踏みにじる。「一度、腹を据えて話したいことがあったんだよ」
ソロモンが自分の軟弱さに失笑していると、シエルが大慌てで今来た道とは反対の路へ走っていった。何事かと、角から身を乗り出してシエルに声をかける。「何かあったのか!?」
「後ろを見ればわかります!!」
言われて後ろを見ると、馬鹿みたいな光景が目に入った。一台の車が、真っ赤な塗装をしながらわけのわからない生き物を跳ねつつこちらに猛スピードで走ってきているのだ。慌てて首を引っ込めると、そのすぐ後に車が目の前を横切って行く。
「志貴、ブレーキ、ブレーキ!」
聞いたことのある声がそのようなことを騒ぎ立てると、タイヤがロックしたのではないかというぐらいの急ブレーキがかかってようやく止まった。ソロモンは車が止まった場所に駆けて行き、ゼフィールは車が来た方向から、お仲間の死体を踏み付けながらわんさかと駆け寄ってくる犬っころを阻むために、緊急用の防火壁を下ろした。
「はぁ、死ぬかと思いましたよ」
サンヴァルツォがダッシュボードにへたり込む。
「それは私の台詞ですよ……」シエルが腰に両手を添えて運転席を睨む。「前見てるんですかっ!?」
「いやさ、一度走り出したら歯止めが利かなくって」両側の壁に車体をぶつけないようにするため、神経を集中させた結果だった。幸い、ボンネット部分はへこまず、バンパー部が多少被害を受けるに留まっている。尤も、赤い塗料が車体を台無しにはしていたが、それも拭けば落ちるように思える。「本当にごめん」
「……まぁ、良いです」
シエルが納得したのを見計らって、ソロモンが言う。
「恐らく、あいつらはエンジン音に吸い寄せられたんだろう。おかげでこっちは楽ができた」シエル以外は、と口には出さずにしたり顔で続ける。「ナルバレックはこの先だろう」
 
 
 ナルバレックはこの執務室での最後の仕事を続けていた。先に出国させた者達のリストが入ったファイルを全てトランクケースに押し込むと、それも片付いた。折角集めた食器類を置いていくのは忍びないが、それも仕方ないとすぐに割り切る。後は、秘書が手はずどおり戻ってくるのを待つばかりとなった。
「来たな」
そう呟いた直後、入り口が勢い良く開いた。途端に、不機嫌を面に出す。「……マルグリッドはどうした」
「マルグリッド女史は―――」最初に部屋に入ってきたのはソロモンだった。後に続いてくる者達にも聞こえるよう、声を一段と強めた。「自殺なされましたよ」
「そうか。つくづく、優秀な奴に限って、己がどうするべきなのか弁えていないようだ」
特別、感慨もなく言ってのける。眉間に寄せた皺も、既に無くなっていた。彼女に対する面々は、彼女が何を思って今回の件を起こしたのかということに、彼女の反応を見て、改めて思いを巡らす。その中で、サンヴァルツォが一歩前に出た。
「随分と話が違うではありませんか、ナルバレック。今回、私が貴方に協力したのは、貴方が、使徒座の邪魔者を排した後に、本格的な死徒狩りを始めるということだったからですよ」
告白地味たその内容に、ナルバレックを除く者達は驚きこそしたが、納得もした。大半の者が、サンヴァルツォが教皇庁の要職の人間を殺した実行犯だと踏んでいたからだ。ただ、ナルバレックは失笑でそれに答えた。
「協力……協力だと?笑わせるな、貴様に拒否権など無かったのだ。第一、私が貴様に今回の件を偽って教えたのは、思慮あってのことだ」なるほど、娘を危険に晒した後に自分が殺されるなどというのは、思慮あればこそ、告げぬだろう。「幾らか誤算があったが、大筋では計画達成だ」
弁士のように勿体つけて少しづつ本題に入っていく。自然な動作で煙草を点けるが、それすらも芝居のように見えてしまう。
「この計画の目的はな、貴様らのような『己がどうするべきか弁えていない』者達を焙り出すためのものだ。はっきり言おうか。正直言って、ここにはもう我々を養えるだけの金は無いのさ」
そこまで言ったところで、机の上に広がっている書類の中の一つをサンヴァルツォに渡す。
「それが何かわかるか?予算審議の報告書だよ。尤も、公にはできない類の、だがね」
サンヴァルツォがそれを淡々と読み終えると、ソロモンに渡す。目を細めて内容を読むと、そこには赤い数字と、それら全てを覆い尽くすように大きく『保留』という意味の言葉が捺印されていた。
「それで、妙案を思いついた。兼ねてから、あの邪魔な連中を排除したがっていた教皇が、刷新代わりにテロを仕組んだのを承諾した。私達はそれに乗じてあるところへ全員移動。そうすることで、今までに起こった不可解な―――そうだな、前の教皇が死んだ真実を伏せる必要もあった。私としても、くだらない教理に縛られていては何も出来ないのが歯痒かったんでな、今回の件を進めたというわけだ」
そこで、と区切り、煙草の火を消すと、身構えている志貴に目を移す。
「君の出番というわけだ。死徒狩りを本格的に始めるという建前上、君の驚異的な能力は奴らの目を惹き付けるのに十分だったのさ。いまどき、自分の立場にあぐらをかいた連中を一同に集めるのには、それくらいの裏づけが必要だった」
シエルがそれを聞いて感情を顕にする。自分達がここに来たこと自体が、そのような陰謀の片棒を担がされるために過ぎなかったという事実が、それをなさしめた。
「貴方を民衆の前に引きずり出してあげますよ!そうすれば―――」
「そうすれば、どうなると思う?黙示禄を待たずして教会は滅びることになるということだ。今、テレビに出ている輩なぞ、道化に過ぎん。あの程度の情報、世間の目を楽しませるだけさ」
このやり取りの間、ソロモンとゼフィールは黙っていた。反論する余地が無いのだ。ナルバレックの言っていることが正しいのだと、頭の中で冷静に計算をはじき出している。
「ふざけるなっ!」突然として咆えた志貴に一同が目を向ける。「そんな建前のために、俺達を利用したのか!人を傷つけたのか!殺したのか!」
「建前?」ナルバレックが耳を疑うとばかりに嘲笑を込める。「建前などではないさ。これは本音なのさ。誰かの本音を通そうと思ったら、他の人間をどうにかするしかないだろう?そういうことだよ」
そもそも、志貴とナルバレックとでは拠って立つものが違う。片や、自分と、自分の周りの人間を守るということ。片や、己の宿命に準じるということ。話が噛み合うわけもなかった。
「話は終わりだ。私はそろそろ失礼させてもらうよ。飛行機の時間が迫っているものでね」
トランクケースを手に持ち、緊急用の避難用エレベータに向かう。
「お待ちなさい」
サンヴァルツォの言葉に、顔を向ける。無視しようとも思ったが、妙に惹き付ける声音だった。「……なんだ?」
「貴方は、その宿命を捨てることを諦めてしまったのですか?」
「ふふ、そうさ。こんなくだらない……くだらないもの、捨てるだけでは勿体無い。利子をつけて、返してやるつもりなのさ」
「では、これは餞別です」
一薙ぎの風が、頬掠めて髪をさらった。赤い鮮血が胞子となって風に乗った。
「―――痛いじゃないか」
スマチェットで抉られた左頬を押さえながら、呆けたように言う。あふれ出る血を止めるには幾ばくかの時間がかかるように思われた。
「鏡でそれを見る度に、思い出しなさい。今の言葉を。そして忘れないでください。貴方の宿命は、一人で担うには重過ぎるものだということを」
そう言って、ハンカチーフを渡す。ナルバレックはそれを受け取り、頬に宛がうと、ゆっくりとエレベータに向かい、そのまま去っていった。エレベータの鉄格子が閉まるとき、彼女が見せた笑顔は、未だ誰も見たことが無い程に艶めかしく、それでいて優美であった。
 
 
「さぁ、早く乗って!」
シエルは、車上からゼフィールに手を伸ばした。ゼフィールはそれを掴むと、後部座席に乗っているソロモンの膝に顔をうずめる形ながら、なんとか乗ることができた。
 防火壁が開ききるのと同時に、車は一気に加速して来た道を戻っていく。後ろからは、けたたましい爆音と共に炎が迫ってくる。タイヤに踏み付けられた死体は、そのインフェルノに身を飲まれ、それを良しとするかのように、揺らめきながら身を焦がした。
「まったく、今回の騒動は最初から最後まで騒がしいな」
「だから、騒動なんですよ」
シエルの合いの手に、ソロモンは珍しく感心した。放送時間を三時間も延ばしていたYASの放送も、この大聖堂の地下で起こった爆発事件を報じた後にようやく終わることとなる。空はもう、白み始めていた。
 
 
  エピローグ
 
 イタリアのとある有力な新聞が報じるところによれば、この「馬鹿騒ぎ」も、軍警察の支局が爆破された翌日には完全に収まったとのことだった。怪我人は三桁を数え、死者は五十人を越えた。交通網はほぼ機能を取り戻し、混乱していた電波も正常に戻りつつある。教皇は新しい使徒座を公表し、件の埋葬機関については、完全否認を決め込んだ。しかし、官憲の捜査はその尻尾を掴んだとばかりにヴァチカンに手を入れている。とはいえ、肝心の埋葬機関があったとされる地下は完全に破壊されており、決定的証拠は掴めそうにもない。軍警察は「威信にかけても今回のテロの重要な参考人達を捕まえる」と表明し、その手がかりは空港・港・国境の出国者リストから掴んでいるとのことだった。
『さりとて、この事件の結末を見るのは随分と先になるだろう』と結ばれた本誌の文面は、予言の如く実際のものとなる。
 
 
 街中にある、小さな教会でささやかな結婚式が行われている。出席者はかろうじて二桁。新郎新婦と、神父、それに形式だけが整われた儀式が恙無く進められ、最後に誓いの言葉とともに口付けが交わされた。
「彼女、似合ってるな」
ゼフィールが小声で、壇上にいる、麗しき新婦の服装について、隣のソロモンに声を掛ける。
「ふん、我々の善意の結果だ。似合っていてくれなくては困るというものさ」
今回の件を企画したのは、琥珀だった。彼女が事件の後、暗く、沈んだ、一同に向かってこう言い放った。「パーティをしましょう」
 そのパーティとやらが、よもや結婚式だとは誰も思わなかったのだが、それも彼女の狙い通りだった。当の志貴とシエルが、ことの真相を聞かされたのは、式の三日前というのだから、念のいった計画だ。それ以前に話を聞かされていた他の者達は、各々で式を挙げるための資金を持ち寄ったり、ようやく退院したルイジ神父に話をつけたりと、件の騒動を忘れるには丁度いい忙しさだった。
 秋葉はというと、最初こそ琥珀に何故このようなことを、と怒鳴り散らす場面もあったものの、日取りなどが決まっていくに従って、次第に、こちらにいる内に祝ってあげたいと思うようになったらしく、太っ腹にも式場に関しての金の全てを遠野家名義の小切手で賄った。
「それにしても、まぁ、神父ったら張り切っちゃってよ」含み笑いをしながら件の神父に目を遣ると、気づかれたのか、子供のようにぷいっと顔を背けられた。「あのジジイ」
「そういうな。正統カトリック式の婚礼なんて、最近では珍しいんだから、仕方ないさ」
「いや、俺が気にしてるのはそんなことじゃないんだ」
妙に深刻ぶって言うので、何事かと顔を向けると、唐突に突きつけられた。
「これで、俺達の婚礼もやろう、なんて言い出したら、どうするんだよ」
悩みの種は尽きることはないらしい。ソロモンは、そのことについては触れずに、目を再び壇上に向けた。
「そのときはそのときだな」
驚いたのはゼフィールである。この男がそんなことを言うとは思ってもみなかったからだ。何を考えているのか、その仏頂面が可笑しかった。
 
 
 教会内にいた者達に加え、外に集まっていた近所に住む人達が見送る中、志貴とシエルは車でその場を後にした。余談だが、花嫁のブーケを手にしたのは翡翠である。
「まさか、この車をこんなことに使うなんて思わなかったよ」
「そうですね……マルグリッドさんには感謝しないと」
「それじゃ、これから、ソロモンに教えてもらった、彼女の墓に行こうか?」
シエルは、志貴の申し出に少しだけ不満だった。婚礼の後に、花嫁とは別の女性に手を合わせに行こうというのだから、それも当然である。それでも、そこが彼の良いところだということもわかっていたので「ええ、きっと彼女も喜びますよ」と、帳尻を合わせた。
 何が変わって、何が残り、何が生まれたのか。それは各々思うところがあるだろう。この、異国の、「かつて」と「いま」とが擦り合う街で起こった、途方も無い、それでいて取り留めのない出来事の数々について、それら全てを書き連ねるのは難しい。
 ただ、それでも、最後にこう書いておきたい。
 我々は、我々が思っている以上に、ねぐらで心惑わす不安など取るに足らない程の、多くのことを知ることができ、また多くのことを考えることができ、そして多くのことを成すことができるのだ、と。
 
 
  了
 
 
2003/7/23初稿

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