第四幕
 
 夜。乾いた大地に珍しく雨が降り注いでいる。湿った空気に嫌気が差したかのように乾いた音がリズムを刻んで人形劇を演出する。その調は人形を糸の代わりに鉄の塊を打ち付け、無様な踊りをさせる。聞こえてくるのは観衆の嬌声。観衆が浴びているのは感動という波動ではなく、血という液体だった。
 
 乱暴な演出家がドアを蹴破り突撃銃の掃射を行ったとき、運良く生き残ったのはたまたま足りない食器を台所に取りに行った少女だけ。
 
 少女にとって幸せだったのは、両親が共産主義国のスパイであったことがわからなかったこと。不幸だったのは、乗り込んできたスパイ暗殺員が少女も殺そうとしていたこと。
 暗殺員にとって幸せだったのは、第一射撃で目的をほぼ完遂したこと。不幸だったのは、現場を目撃した少女が悲鳴を上げたこと。よもや、それを聞きつけて化け物といえる存在がやってくるとは思わなかった。
 暗殺員にとってはその悲鳴はなんの感慨も危険も感じなかっただろう。目の前の金髪の少女を殺し、撤収すれば良いだけのこと。現地調達した安物の突撃銃でもこれくらいの任務は十分こなせた。自国に帰れば暖かいスープを家族と共に飲むことができる。そのためならば他の家族を殺す任務も割り切れる。
 銃爪を引こうとしたとき、外で待機している仲間の無線が入った途端に雑音が流れた。無線を送信のままにしている。これが何を意味するかわからないわけではない。この際、目の前の少女に力は無いと判断し、処理を後回しにして入り口のドアの横の壁に背を預ける。
『マイクとケリーが殺されたか…油断したな、こうも早くスパイ暗殺を気取られるとは…スパイはどこの国も大事か』
暗号であろう名前しか知らない仲間の死に対する感慨など何も無い。考えることはただ一つ。生き残って帰還すること。そのために考えることは、謎の敵を倒す方法であった。雨で外の気配がわからない。銃声がしなかったということは、相手はナイフを使用しているか、サイレンサーを付けているかのどちらかだった。前者ならば相手は相当のナイフ使いであろう。後者ならばそういった装備を使用することを前提に訓練を積んだ兵士であろう。どちらにせよ状況は最悪だった。相手は一人だろうか?一人であったとしても、一度に二人の敵を殺せるほどの相手ということになる。疑問は恐怖へと繋がり、正常な思考を妨げていく。興奮状態によって思考が早まっている分、時間の流れが酷く遅く感じられる。
 後手に回った時点で不利な状況だ。しかも相手がどこからしかけてくるかわからない。かといってここに止まっていては、目の前の少女共々ここを爆破する可能性すらある。銃声は敵に聞かれたはずであるから、こちらが任務を遂げたことを知っているであろう。なんのためらいもなくここを吹き飛ばすことは十分考えられた。それでも、ここから撃ってでるなどというのも焦燥に駆られた暴挙にしかならない。この場合、爆破された際のことは考えず、相手の攻めてくるルートを限定させて、そこを銃で仕留めるのがベストだと結論づけると、まずこの家屋の造りを見渡す。窓は出入り口のドアの方向にしかない。となると、ドアと窓、どちらから相手が突撃してこようとも、その範囲をカバーできる位置にいればいい。敵が一人でなかった場合、勝ち目はない。一人を撃ち殺す間に二人目が、二人目を撃ち殺す間に三人目が距離を詰めてくる。
『これは賭けだが……賭けないで負けるよりは諦めがつく』
そう決意したときには既に体が動いていた。窓とドアが一直線上に配置されている側の壁の角に移動し、銃を構える。お粗末なエモノにお粗末な作戦。それでも、最悪の状況の中で選択できた数少ない作戦だった。
 
『来い!道連れに最低でも二人は殺ってやる』
 
 窓が割れた瞬間、銃をそこに一点集中して射撃した。が、一定の数を撃ち出すと間隙が生じる。それを狙ったかのように黒い大きな影のようなものが部屋の中へと入ってきた。その影のようなものはあっという間に姿を失せさせた。部屋の中の影そのものに溶け込んだかのように見えたのは錯覚だろうか。暗殺員が舌打ちしようとした瞬間、喉にナイフが貫通し、そのまま壁に突き立てられる。暗殺員が人生最後に味わったのは暖かいスープではなく、自分の血だった。
 
 ぬるりと影から抜け出した身長の高い男は背広を直してから、暗殺員の喉に突き立てたナイフを楽しそうに引き抜く。ずりゅ、といういやな音を発てながら、暗殺員は地べたに尻をつけた。
「ふぅ、入り口付近は影が無かったですからねぇ、危なかった。まぁ、あそこを通り抜ければあとは楽勝ってところですか……あ〜、大丈夫ですか、君」
彼の差し伸べた手を握ったとき、少女には根拠の無い確信があった。この人は恐いけど優しい。それは少女という年頃だけに許された羨望という特許であった。
 
 
 
「それがサンとビエラちゃんの出会いってわけか〜……う〜ん、白馬の王子様の登場にしてはやけに生々しいな…」
遠野志貴の言葉は、後半はほとんど独白といって良かった。彼が朝食を作りながら聞いていたビエラの思い出話の感想である。
「とっても恐かったけど、忘れないようにしてるの。だってあれが無かったらサンには会えなかったもの」
そういう少女の顔に嘘が無いのは志貴にもわかった。そもそも、この娘が嘘をつく、という状況が想像できない。
 志貴は適当に朝の市場で買ってきた魚をソルトで焼いたものとコンソメのスープ、それにパンをトレイに乗せて、適当に床に置いた。本来であればこういう食べ方はこっちの人間には無作法ってことになるんだろうけど、テーブルが無いんだから仕方ないよなぁ、あ、そうだ、シエルが帰ってきたら家具でも一緒に買いに行くかぁ、そんなことを呑気に考えながら、ビエラに食事を薦める志貴であった。
 
 
 
 その頃、シエルとソロモンはこれからのことについての討議を終えた後、空港に向かっていた。一度は埋葬機関に出頭したのだが、ナルバレックに門前払いを受けた上に、秘書からは伝言だということで指令を受けた。本来ならばナルバレック直々の指令以外は受けてはならないのだが、シエルもソロモンもナルバレックに会わなくて済むならそうしたかったので、素直に指令通りに空港へと向かった。
 
 徒歩で約三〇分。空港まで来た二人は、待合室で人を待ちながら、その待ち人について話していた。
「アノ人ってまだ所属していたんですね……てっきり私はもう放逐処分になったとばかり思ってました」
シエルの台詞を聞いてソロモンは得意の毒を吐く。
「ふん、あの性同一性障害の女狐がっ!本当だったら私が殺してやりたいくらいだが、能力は性的思考には関係無く優秀でな、殺すに殺せないから、殺す代わりにコキ使ってるってわけだ」
キリスト教の正統信者であれば殺したくなっても当然ではあるその当人は実際のところナルバレックの能力至上主義によって埋葬機関に所属しているのだが、ソロモンはそれも承知した上で悪態をついている。とにかく我慢ならないのだ。
「けど、ほら、病気の一種ですし、彼女だって好きでなったわけじゃ……」
シエルはちょっとしたフォローのつもりで言ったのだが、思いもかけないソロモンの返事を聞いて驚愕することになる。
「シエル君……私は過ちであったことは告白するが……私は彼女と結婚を考えてたことすらある。まぁ、恋愛感情なんて皆無だったが、立場上な」
その台詞を聞いてシエルは固まった。驚きを顔に出すなんてゆとりが無くなる程に驚いた。ソロモンは続ける。
「それをいざ結婚というときになって『私、実は頭の中身は男なの』なんて言われたんだぞ、シエル君!つまりだ、あいつは頭の中で男性同士でセックスしてるなんて考えてたんだぞ?!なんという無礼だ、そのときの私はそれを想像して三日三晩寝込んでしまったよ」
シエルはそれを想像して目尻に涙が浮かぶほどに笑い転げている。待合室に詰めている人間が何事かとこちらを見ているのに気づいたソロモンは、咳払いをしてその場を静めてから、小声でシエルに言った。
「何がおかしいのかな、シエル君……」
「だ……だって…くくくくく……それって精神的には同性同士でセックスしたってことに…ぷぷぷぷぷ……」
ソロモンは既に呆れてモノも言えない。ただ頭に浮かんだのはいつかこいつに仕返ししてやるということだけだった。
 そこに大きな旅行鞄を引き摺りながら、長身の女性が亜麻色の腰まで届くというほどの長髪を振り乱して待合室の二人に駆け寄ってきた。
「よっ、元気だったか、二人とも!それにしてもこっちはアッチぃなぁ、香港は良かったぞぉ、香港は。アジア美女の味も堪能したしな」
女らしい顔で男らしい台詞を吐いた彼女…彼?どっちだろうか、まぁ、その人物は一人の人物の様子がおかしいことに気が付いた。
「あれ、どうしたソロモン。元気ねぇなぁ、腹でも痛いか?あ、わかった、また変なもん食ったんだろ、お前みてぇのでも腹は痛くなるんだな」
そこで我慢しきれなくなったソロモンが憤慨した。
「うるさい、お前に言われてたまるか!それに『また』とはなんだ、またとは!それでは私が普段から変なものを食べてるようではないか」
「だって実際そうだったじゃねぇか、昔は。ベッドから起き上がって几帳面に何を作ってるかと思えば、目玉焼きのバターソースかけなんてもん食卓に出しやがるしよ。あのときだね、俺がお前さんに頭の中身は男だと告白しようと決意したのは」
「貴様……」
二人のやり取りはシエルの大笑いで区切られることになる。恥ずかしさで居た堪れなくなったソロモンがシエルの襟をつかんで空港の外へ向かうと、三人称の使い方に困る人物もその後を追っていったのであった。
 
 それがソロモンとシエルの、ゼフィールとの再会であった。
 
 
 
初稿2002/8/22

次回の幕を開ける

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