第三話「an/any」

我が子よ、父の諭しに聞き従え。母の教えを疎かにするな
それらは頭に戴く優雅な冠
首にかける飾りとなる

旧約・箴言・第一章八〜九節


「ただいま〜」
 雨季を手前にして貯金を使い切ろうという算段なのか、晴れ渡った青空の下、自分としては快適なドライブを終えて家の玄関ドアを押し開く。
「あれ、誰もいないのかな」
 日本と違って靴の有無で判断できないのが不便だが、その分、体が能動的に動く。
「シエル?……なにやってんのさ」
 玄関脇にあるオフィスのドアを開けて中を覗き込むと、なんだか大変なことになっていた。プリンタという甲板から用紙が次々に離艦しては地面に墜落しているのだ。しばしその滑稽とも取れる光景を頭の中で連想した飛行機になぞらえて目で楽しむようにしていたのだが、シエルは俺に気づくと、何かの拍子に壊れた玩具が動き出すようにして素っ頓狂な声を出した。
「あ、あ、あ!ちょうどいいところに!で、電話線を抜いてください、電話線!」
「へ?」
「いいから、早く!」
 言われるがままにドア脇の足元にあるコネクタから電話線を引っこ抜く。分配器は別の場所にあるので、業務に支障が出るということはない。もっとも、この悲惨な状況で業務に支障が出ていないといえるのなら、それはいわゆる現場を見ていないという皮肉そのものになる。
「どうしたんだよ。こんな……」
 なんとも表し難い形に落ちついた光景に言葉を失する。地面に落ちた紙の感触を楽しむように娘の咲美と犬のパウロがそれぞれに手や足を使って紙と戯れている傍ら、再び椅子に座ったシエルが体全体を使って緊張を解いている。
「こんなもどんなも……、オートシフィーダがイカれてたみたいなんですよ。それで、必要な書類をダウンロード印刷しようとしたら」
「こんなになった、と」
 シエルはいつも律儀にテスト印刷をシーケンスに組むようにしているので、そのテスト印刷の段階で送受信がこんがらがったようだ。
「こんな、といえば、私、こんな子供は見た覚えがないんですけど」
「子供?」
 緊張どころかすっかり力まで抜けてしまったらしいシエルの代わりに紙を片付けていた俺は、顔を上げた。
「ほら、その子ですよ」
 シエルが顎で示した方向を見ると、パウロに抱き着いている「こんな子供」が目に入る。咲美はというと、友達を取られたと思ったのか、パウロの体の上に覆い被さって占有権を誇示している。パウロにしてみれば良い迷惑だろうが、その程度でガタつくほどヤワな体ではないので、心配もほどほどにシエルとの会話に戻る。
「この子ね」
「ええ」
 どう説明したものかと考えながら、とりあえず一通り集めた用紙をデスク上のスペースに置くと、どたどたと騒がしい音と共に、つい先ぞに拾ってきた有彦が部屋に入ってくる。
「おい、遠野!正行はどうした!!」
「よう、遅かったな」
「馬鹿言うなよ、あんな坂道でガックンガックンした所為でこっちゃ悪酔いだ!」
「お前が先方の事務所でダダこねるから、昼飯に遅れないよう飛ばしてきた身にもなれよ」
「あの〜……」
 急展開においてきぼりにされたシエルが申し訳なさそうに片手で挙手をして口を挟むと、すかさず有彦が合いの手を差し出す。
「お、先輩!久々ですな!!」
「あ、はい。お久しぶりです、乾君。で、正行君というのは、乾君の子供さんのことでしょうか」
「そうです、我が二世にして青春の結晶たる正行です」
 有彦はシエルとの再開で彼女に目が釘づけで、肝心の正行には目もくれない。その様子を冷静に揶揄しようとシエルが視線を流し目に構えた。
「結晶、という割には随分と頑丈のようですね」
 彼女の視線の先には、あわれな不法侵入者に対して私刑が執行されるかのごとく、咲美に従われた獰猛な番犬に押しつぶされた恰好でパウロの毛に埋もれる正行の姿があった。
「うお、正行、大丈夫か!」
「お父さん……、僕……」
 今正に事切れんとする傷ついた息子を抱え上げ、絶望の色を濃くする父親。そして息子は涙という愛嬢の滴の中で力尽きるのだった。
「正行、正行ぃいいいいっ!!」
 何某の子は何某というやつらしく、絶妙な即興コントを演じ切った二人に俺は拍手を送る。シエルの冷たい視線を体の側面に感じながら……。
「お二人とも、イスラエルとヨセフを演じるには役不足です」
「手厳しい割に、的を射てないんじゃないか、それ」
 シエルの糾弾を適度に流しつつ、「お父さん、変な人たちがいるよ」とばかりに俺の足にしがみ付いてきた咲美の頭を撫でてあげながら、変な人たちへと咲美の体を向けさせる。パウロは正行を押しつぶしていたときの感触が忘れられないのか、ひっくり返って前足と後ろ足を使って自分の腹の辺りをまさぐっていた。
「ほら咲美。お父さんの友達の有彦と、その息子の正行君だ。ちゃんと挨拶しなさい」
「やー」
 普段は物事を聞き分けないような子ではないが、同年代の子を前にして意固地になっているらしい。出先の広場なりで子供と遊ぶことはあっても、こうしてきちんとした形で対面するのは初めてなので、なおさらだった。
「やー、じゃないだろう」
「だって、パウロをいじめるんだもん」
「お前だって正行君をいじめただろう?」
「……うー」
 うーむ、子供って言い聞かせているときの困った顔が可愛いよなぁ、などと親馬鹿なことを考えていると、どういう按配か名案が出た。
「ほら、謝らないと、お父さん、お母さんに「今晩はカレーが食べたい」って言っちゃうぞ」
「わかった」
 途端に素直になった娘を見て、シエルが豪快に肘掛から肘を外してすっこける。せっかく片付けた用紙の束がどさどさと彼女の頭めがけて落下し、顔を隠した。パウロが心配そうに顔を近づけるが、紙の隙間から覗いた彼女の目がよほど怖かったようで、後ろの壁をぶち破るんじゃないかというぐらいに力強く後方にジャンプしてことなきをえた。
「これじゃどっちがコントかわかったもんじゃないな」
 有彦がそんなことを俺に耳打ちする。俺と有彦がシエルの耳に届かないよう、笑いを押し隠して悦に浸っていると、気づけば咲美が壁に背中を預けてぺたんと床に座り込んでいる正行の手を取って、引き起こしていた。子供なりの挨拶が済んだということは、二人の顔を見れば一目瞭然というものだった。
 ふと、短い電子音がすぐそばで鳴る。見れば、有彦が携帯電話を目線に構えて子供がいる方向に相対していた。
「おい、何やってんだ」
「見ればわかるだろ、写真を撮ってんだよ。こんなの、そうそう撮れるもんじゃねぇぜ」
 そういって、今度は連続的に電子音を鳴らしていく。どうやら、これで撮影できているらしい。一応、情報としては日本の文化や流行などは頭に入っているが、どうにも奇異な光景として俺の目には映る。
「そんなんでちゃんと撮影できるのか?」
「遅れてるなぁ、お前。今じゃデジカメとタメはれるぐらい携帯カメラの画質って良いんだぜ」
「へぇ〜。日本じゃ子供の記録も携帯できる世の中なんだな」
 どうでもいいことに感心している俺に昔通りのいやらしい笑いを口元に貼りつけた有彦は、撮影もそこそこに、写真の出来映えを確認する。
「これはこれで、小さい画像に味があって良いんだぜ。仕事には流石に使えないけどよ。どうだ?」
 差し出された携帯電話の画面を見ると、なるほど、笑った顔を向け合っている子供二人が適度なアングルで写し出されていた。
「なあ、これって印刷できるか?」
 結構な出来映えに、思わずそんな言葉が出る。
「ああ、できるぜ。でもよ、折角なら、仕事用に持ってきたデジカメを使って皆で撮ってからにしようぜ」
「それなら、夜にしてくれないか。他にも紹介したい奴らがいるからさ」
 生憎と、ソロモンとゼフィールはまだ昼飯から戻っていないらしい。それもそのはずで、時計を見ると、まだ午後の一時過ぎ。あの二人のことだから、食後に軽く二、三杯はひっかけてくるだろうから、帰りは二時をまわることだろう。
「そっか、そういや、お仲間がいたんだったよな。俺、いても大丈夫なのか?」
「大丈夫も何も……。最近、娯楽に飢えていたから喜んでお前を泊めてくれるぞ」
「よっしゃ、それなら俺も準備し甲斐があるってもんだぜ」
「準備って……。お前、仕事は良いのかよ?」
 何をしでかすつもりなのかしらないが、翡翠がバックに控えていることを考えると、彼女の代わりにぼんくら亭主のケツを叩くことを怠けては、ケツだけに後が怖い。
 そんな俺の深慮が通じたかどうかは定かではないが、手先を顎に当てて壁にかけてあるカレンダーに目をやる。それはゼフィールがもらってきたものなのだが、どこの馬の骨ともわからないインディーズライヴのネガをプリントしたそれは、白い壁に一点だけ汚れが染みついたような印象を受けるものの、いい加減になれた。それというのも、応接用の部屋に唯一のきちんとしたカレンダーを設置してしまったからだ。
 有彦は「あ、よく見たら○○のコピーバンドじゃん」といったようなことを口走ったが、よく聞き取れなかった。
「こっちは今日が金曜日だろ?」
「ああ」
「だったら大丈夫。どうせこっちの支社の奴の都合で明日まで動きようがないんだ。それだったら、お前たちと話したいこともあるし、有益な情報ってやつも手に入るってもんだ」
 先ほど、その支社でもめたのは、着いて早々に仕事に取り掛かれると思い込んでいた有彦が醜態を見せたからだというのは既に天性の楽観に上塗りされてしまったらしい。
「お前、要領の良さに磨きがかかったなぁ」
「お前はどうなんだよ」
「さぁ、どうだろうな。外国語が多少できるようになったってのと、子育ての苦労がわかったぐらいじゃないか?」
 ソロモンとシエルの影響でラテン語も読めるようになったし、英語も大分上達した。イタリア語はたまにゼフィールが思い出したように口走るだけなので、加速度的に頭の中から知識が忘れ去られようとしている。
「そうじゃなくて、仕事だよ。なんだったら、俺のことなんか気にしないでくれて構わないんだぜ」
「いや、大丈夫だ。ちょうどこの週末は予定がガラガラなんだ。先日、でかい仕事が片付いたばかりでさ」
 有彦の疑問に詳しく回答してやれないのは少々不憫だが、述懐はできる。ソロモンが年末テロの情報を聞くにつけ、手当たり次第に「これはチャンスだ」と依頼に飛びつくと、どういう因果か依頼内容がバンドルしてしまい、結果として、テロ組織の末端を潰すのに相当することになった。それを実行するのに二ヶ月かかったというわけだ。実際は一ヶ月でコト自体は片付いたのだが、事後処理と並行して行っていた普段の依頼との穴埋めに追われ、それがより大変だったという、なんともやられた組織側にしてみれば価値の相対基準について苦情を申し立てたいことだろう。
「そういっておいて、本当はいつも暇なんじゃねぇか?」
 どうやらこいつにこそ基準がどうなっているのか申し立てて然るべきのようだ。冗談半分で言ったこととはいえ、言って良いことと悪いことがある。
「お前なぁ、それは聞き捨て……」
「聞き捨てならんな」
「まったくだ」
 俺が言うべきことを言おうとすると、呼応したかのように声がドア向こうから聞こえてくる。お前らはどこぞの仕置き人かと聞き返したくなるような状況だが、仕置きしてからでも遅くはあるまい。
「やぁ、季節の変わり目ってのは悪いことばかりでもないんだなぁ」
「ああ、よもやトマトレタスドッグが十本詰め合わせで通常の半額とはな。危うく宣伝を聞き逃すところだった」
 入ってきたのはゼフィールと、彼に荷物を持たせて自分は悠々と楽しげに会話に専念しているソロモンだった。問題はゼフィールが両手で抱えている包み袋の中身で、それは所々袋から頭を出して、それがホットドッグであることがわかる。ざっと見て、二の腕ほどのサイズのものが十本詰め合わせどころか二十本はあろう。
「これも日頃から人のため主のために働いている我々へのご褒美ってやつだな」
「いや、ゼフィールよ、我々、というのは少し王族臭くていかんな。やはりここは……」
「細かいことは良いじゃねぇか。お、サキ、ホットドッグ食うかぁ?」
 ゼフィールがソロモンとの会話もそこそこに、視線に当たった咲美に袋から一本取り出して渡そうとする。咲美は穿き慣れないジーンズの裾を気にしてから、それをホットドッグを両手で受け取った。
「うん。……この子の分もある?」
 ゼフィールは咲美に言われてみて正行に初めて気づいたようで(そう演出しているだけのようにも見える)、訝しげな目を彼に向けてから、再び咲美に視線を戻すと、いつものふざけた表情に顔を戻して、正行にホットドッグを差し出した。
「ありがと……ございます」
「ん、日本語か。ってーと、……あっ、例の志貴の友達の子供か」
「どーも、はじめまして。その友達の乾有彦っス」
 有彦が機を見て挨拶を済ませると、それを待っていたらしいソロモンは返事を返した。
「ご丁寧にどうも。しつけは行き届いているようで、結構なことだ」
「俺たちのことは?」
 ソロモンに続いて頭だけ前に傾けたゼフィールが先ず最初の質問を浴びせた。
「ああ、妻から聞いてます」
「妻?」
「秋葉嬢からの手紙に書いてあったろうに」
 とぼけているのではなく真剣に妻が誰を指すのかわからない様子のゼフィールにソロモンがすかさず助け舟を出す。本人は馬鹿にしたつもりなのだろうが、最近は茶目っ気ばかりが先に立つ。
「あー、ヒーちゃんね」
 ゼフィールの場合、茶目っ気がどうとかいう次元では語り尽くせないようだ。
「前から言いたいと思っていたんだが、お前のネーミングセンスは……」
「どうした、志貴。眼鏡をつけたままそんな顔をするなんて珍しいな。暇ならコーヒー入れてきてくれよ」
「おい、人の話しをだな……。ところでシエル君はどこに行ったんだ?」
 遠野志貴、二十五歳を手前にして客観に限界を覚えました……。
「もういい!」
「「「「「「わっ」」」」」
 珍しく出した大声に未だ紙に埋もれているシエルを除いた皆が俺に視線を傾ける。そして俺はこう言った。そう、とても、力強く。
「俺にもホットドッグくれ!!」
「私にも一つください」
 俺にホットドッグを差し出そうとしたゼフィールの手がいないと思われていたシエルの声音だけで震える。俺のわけのわからない感情の起伏に戸惑っていた所だったからだろう。夫婦そろってわけわからんことをするなと言いたいだろうが、ゼフィールは必死に我慢したようだ。
 ソロモンはといえば、
「ホームレス体験コーナーでも設置したのかね」
 と、いつもの調子で、そのため俺とシエルに眼鏡越し特有の鈍い光を放つ視線を浴びせられる羽目となった。張り合いがあるのかないのか。
「あ〜あ、これじゃどっちが大人かわかんねぇな」
「「うん」」
 有彦と子供たち、それにパウロがそう落ちついた一方、俺とシエルは、何かを必死に誤魔化すかのように、むしゃむしゃと、一心不乱に、ホットドッグを一つずつ平らげたのだった。


「さて、一息ついたところで、これからの予定を立てるぞ」
 とは言ったものの、さしものソロモンもいつものように会議に当たって気張る副理事のように立ちあがってテーブルを叩くわけでもなく、小さい体の前面にある腹に目を遣りながら、コーヒーを飲んでは溜息を吐いている。
「いや、もう、正直、まじで、なんつーか、いらん」
「同じく……。なぁ、正行、ちったぁ父ちゃんを手伝ってくれよ」
 ゼフィールと有彦が手をつけていたホットドッグをほぼ同時に食べ終える。有彦は藁にもすがる思いというやつなのだろう、コーヒーに伸ばすはずの手を息子に向かわせる。
「「ごちそうさま」」
 その息子はというと、咲美と一緒に食べ終えると、パウロを引き連れて廊下を走り回り始めた。
「ぬう、ここまで来て、息子に見捨てられるとは……。無念だ」
「はいはい、馬鹿はそれくらいにしてください。まだホットドッグは残っているんですから、頑張ってもらわないと。腐ったら困りますし」
 シエルの言葉で一際大きい溜息を吐いた二人の目線がふと絡み合う。ゼフィールの顔をはじめて真正面から受けた有彦は、その美貌に面食らって、しばし硬直するものの、わざとらしく微笑んだ顔になんらかの危機を感じる直観は残っていた。
「シニョール・ミステル、日本人はたしかホットドッグの世界大食い大会で優勝していたな」
「……まさか」
「察しが良い。あとは頑張ってくれ。これ以上食うと、後々ダイエットの必要性が出てくる」
 有彦の返事も待たず、ゼフィールは有彦の肩を叩き、とぼとぼと腹を抑えながらダイニングの壁際にあるソファにうつ伏せに倒れ込んだ。ぼふっ、という小気味の良い音が少々の埃と共に部屋に霧散する。それを催眠術の解除音としたかのごとく、停止していた有彦が吼えたのだった。
「なんてこったぁあああああっ!!遠野よ、笑うなら笑え!この美人の申し出を断れない哀れな道化紳士に冷たい視線を送るが良いさ!!」
「……で、予定なんだが〜」
「はいはい、俺はちゃんと聞いているから安心して続けてくれ」
 ゼフィールが降参を示すような手の振り方をすると、ソロモンがコーヒーの熱気を溜息に多分に混ぜて、俺の方向を見る。どうやら俺は生き残り組で唯一まともな理性で対応できる相手なのだと認識されたらしかった。
 今更だが、こうなった経緯というやつを説明しなくてはマズイだろう。そんな気力も起きないぐらい、場当たり的におさらばしたはずの客観を決め込まなくてはならなかった俺に(有彦以外の誰かの)愛の手を。
 こうなったのも、シエルが先ほどの一件でヘソを曲げた揚句、ただでさえ人様より曲がってしまった根性を発揮して、ゼフィールと有彦にホットドッグ処分係というあり難い御役を与えたからであった。琥珀さんでもいたら、「これぞ大岡裁きですね」などと嬉しそうに言ってくれたことだろう。
「予定といってもなぁ……。今まで例の仕事でてんやわんやで、今朝のミーティングもほとんどそれの後詰だったろ?今更予定もなにもないだろうに」
「ないからこそ予定を立てるのだよ、志貴君」
「この状況で……か?」
 議席を空ける者、数えて二名。錯乱の傾向あり、一名。心神喪失の恐れあり、一名。その他。こんな議場、クーデターが起こっても相手にされないだろう。自分も含んでの感慨なのだから、客観論になっている自信はある。
「私と、君と、シエル君。三人いれば議事は成り立つだろう」
「皆でのんびりってのは駄目……だよなぁ」
 とてもじゃないけれど、そういう雰囲気ではない。修学旅行の自由時間の予定を決めろという課題を出されたときと同じ気分だ。自由時間の予定を決めろだなんて、角のある牛を描けといっているようなものじゃないか!
「いやいやいや、それでも構わないんだが、皆で、というのがな」
「なんだよ、ソロモンは予定でもあるのか?」
「ああ、ちょっと、依頼にあてる時間以外で調べておきたいことがあってな」
 ソロモンがいつも胸ポケットにしまわれている眼鏡とメモ帳を取り出すと、それぞれ本来あるべき場所に落ちつく。かたや光を鋭利に跳ね返し、かたやぺらぺらとうすっぺらい笑い声をあげてはにらまれるのだ。
「俺も手伝おうか?一人でやるよりは早くできるだろうしさ」
「そういうことでしたら、私も……」
 磨きがかかったもの、か。先ほど、有彦に聞かれた言葉が蘇る。もう一度あいつに聞かれることがあったら、こう答えてやろう。「人の良さ」ってね。もっとも、今のあいつを見ていると、そんなこと言う機会があるとはとても思えないけど。
 俺とシエルの申し出に、ソロモンは首を振る。しかし、これは予想の範疇でもあった。
「いや、君たちは折角に乾君が来ているのだから、ここに残るのが礼儀というものだろう。おい、ゼフィール!」
 大声で指名された当人が、のそりと姿勢を変えて、手を枕にしてこちらに顔を向ける。相変わらず長い髪をうざったそうにしているが、切るつもりはないらしい。
「聞こえてるよ……」
「お前はどうする?折角の連休だ、初っ端からケチをつけたくないというお前の気持ちもわからんでもない、だから……」
 珍しく相手に台詞を委ねる。とはいえ、それは未だ付き合いの長さではゼフィールにかなわない俺だからこそ思うことであって、そのゼフィールにしてみれば、たまに見せる気まぐれという名の気遣いとしか思えないに違いなかった。
「だから、なんだ?俺はユダヤ教に宗旨かえをした覚えは無いぜ」
「あれだけドッグを食った後にわざわざ言わなくてもわかる。はんっ、もっと可愛げのある言い方はできないもんかね」
「外見にしか可愛げが無い奴に言われたくないね」
「まぁまぁ……。とにかく、これで決まりということになりますけど……」
 シエルの視線が俺や皆から外れて、一点に向く。俺はそれを議事決定のベルを鳴らせという意味だと取った。
「いつまで食ってんだよ、お前は」
 久々に叩いた旧友の頭は、随分と軽く感じられた。