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第四話「Bramen」

 そんなことは皆、私もこの目で見
 この耳で聞いて、よく分かっている。

 あなたたちの知っていることぐらいは
 私も知っている。
 あなたたちに劣ってはいない。

 私が話しかけたいのは全能者なのだ。
 私は神に向かって申し立てたい。

 あなたたちは皆、偽りの薬を塗る
 役に立たない医者だ。

 どうか黙ってくれ
 黙ることがあなたたちの知恵を示す。

 私の議論を聞き
 この唇の訴えに耳を傾けてくれ。
 ――ヨブ記・第十三章、第一節〜第六節


「おい、煙草……あるか」
 陽が沈む頃から降り始めた小雨の中、路地裏の一角で長時間立ちっぱなしだったラウル・バートンはとうとう痺れを切らしたようだ。傍らで神妙な顔つきのまま固まってしまったような表情をしていたケリー・ベントナーがようやく顔を崩す。
「禁煙中じゃなかったんですか?」
 とは言いつつも、自分の分と我慢の効かない上司の分をズボンのポケットから取り出す。妊娠中は辞めていたのにな、と思いながらも、彼女は自分と上司が咥えた煙草に火をつけた。
 バートンは大きく煙を吸い込むと、久々の一服に頭が痺れる感覚を楽しんだ。
「仕事前に吸わないと縁起が悪いんだよ」
「本当だったらとっくに終わってるんですけどね……」
 かれこれ、予定時間を過ぎて二時間が経過しようとしている。こんなに待たされたのは、かつての夫を離婚調停所で待っていたとき以来だった。
 先ほどから、他の調査員との無線の定時連絡も愚痴が混じるようになっている。
「他人のことなんか構っていられないような奴を付き合わせて悪かったと思ってるよ」
「今日はライザの音楽発表会の日だって、あれほど言っておいたのに」
 全然、悪かったと思っていなさそうな上司に、自分の娘を引き合いに出して対抗する。彼は仲人でもあり、娘の名付け親でもあるから、たいていの場合、彼が折れるのだった。
「わかった、わかったって!本当に悪かったと思っているよ。今度、ライザとお前さんをウチに招待するからそれで勘弁してくれ」
「……了解しました」
 彼の奥さんが作るアイルランド料理を久々に味わうのも悪くないかとは思ったが、それでも体にまとわりつく雨の滴がジャンバージャケット越しに体の熱気を奪うのに耐えられるのも限度がある。
「それにしても、『Dog』の奴、随分と待たせやがる」
 焦りを最も強く感じているのは誰よりもこのバートンなのかもしれない。ケリーは彼の襟をたくし上げるという癖の意味を正しく理解していた。
「ここに来る、というのは間違い無いんですよね」
「ああ、専従調査員の話だと、この二年間、連絡を取り始めてからこっち、奴が嘘をついたことは無いらしい」
 長話の間も、バートンはタイラー通りへと抜ける路地の一角にあるビルから目を離さない。彼の視線から少し外れれば、ヒルトンホテルの見なれた形が目に入るのだった。
「最初の嘘、という可能性は?」
「そのときは俺が最後の嘘にしてやるさ」
 精神的に辛い状況だろうと、ウィットさは相変わらず。そんな上司に励まされた想いのケリーは、バートンの腋の下の間から見えた向かい側の歩道にいた売春婦が男性客に手を差し伸べるのを見逃さずに済んだ。
「あいつ……だな」
「――……こちら案内役。こちら案内役。『have a nice vacation』」
 行動開始を他の十名全員に告げると、小雨の速度が落ちるような錯覚を覚える。そしてそのまま一気に男が入っていったビルの手前へと駆け抜けた。
「お前は後詰だ」
 背中を安っぽいレンガ作りに委ねたところで、バートンがケリーの肩を叩く。彼女はありえないといった表情を即座に形作った。
「私も一緒に――」
「お前じゃないと背中なんて任せられないんだよ」
 卑怯な言い方だ、とケリーは思う。それでも、彼女は自分がレンガに背中を任せる立場になることを承諾した旨を、かぶりを振ることで彼に伝えたのだった。
 
 十分後、銃声が二つ、辺りにいた鳥たちを驚かせた。それは鳴るはずがない音だ。一緒にいた新米の調査員が呆気に取られている間に、ケリーはすさまじい勢いで入り口のタラップを駆け上り、そのまま中へと入っていった。
「取引は……三階!」
 すぐにでも三階に着きたいという願いを込めながら、何度も同じことを口にする。途中、舌を噛んでしまったが、それでも足を止めず、涙を瞼で抑え、二階から三階へと続く階段の踊り場で、とうとうその足が止まる。目の前には、中に入った四名の内の一人が首筋を血塗れにして倒れ、事切れていた。確認のために手をあてると、新鮮な血液らしいぬるりとした生暖かい感触が指に絡みつく。上に視線を走らせると、そこにはバートンを除いた二名が同じようなやられ方をしていた。
 その先には開け放たれたドアがある。ケリーは事前に叩き込んだ部屋の見取り図を思い浮かべながら、愛用の九ミリを構えて突入した。

 椅子が二つあった。一つは問題無い。もう一つは、窓の縁に引っかかりながら足の片方を不自然に上げていた。見れば、カーテンが背もたれに結び付けられ、比較的手薄だった裏路地へと下りている。
「……リ……ィ」
 微かな声の方向へと体を向ける。そこには、バートンが胸の中心を抑えて、影の中に倒れ込んでいた。
「バートン!」
 彼女が急いで駆け寄る。拳銃が片手にあるとはいえ無防備な姿だが、この様子ではここにはもう誰もいないと直感が告げていた。
「……ふた……、……つ」
「ふ…た…つ。二つね、ええ、聞こえたわ。『Dog』の銃声は二つだったわ。喋らないで。今ならまだ間に合う」
 まだ間に合う?何が間に合うというのだろう。取引相手の「Dog」は影も形も無い。年季の入ったプロに今の自分が追いつけるはずもない。そして、目の前で血を流して倒れている大切だったはずの人も、もう。
「……ちが……う」
「ちがう?何が違うの。銃声は二つ。銃声は二つよ」
「音の……が……二つ…だ、ケリー」
「音の何が!」
 目から涙が出る割に、喉はやたらと乾いて感じる。一言一言がひどく重い。
「おい、何をやっている!」
 駆け付けた二人の後詰の調査員が、ケリーを押しのけて即席の担架にバートンを乗せる。
「おじさま、おじさま。しっかり!」
「……昔の…呼び方は止めろと……言った…ろう」
 バートンはケリーの父親の兄にあたる人物だった。早死にした父親に代わって、自分の母親の面倒を見ていたバートンが彼女の頭を撫でたのは、もう、二十年も前になる。

 そして、彼は二十年間、弟の葬式以来、二度としてあげなかったことを彼女にしてあげたのだった。最後の温もりを込めて。


「民間人に代理をさせるってどういうことなんですかっ!」
 一ヶ月後、再び『Dog』と接触するための準備に追われていたケリーは、寝耳に水の報告書をデスク組トップのスローンに突き返した。
「これ以上、私の部下に犠牲者が出るのは忍びないのでな」
 簡素な葬式に不釣合いな演説で「私は彼の死を無駄にはしない!」と吼えたのはどこのどいつだったか。ケリーは歯噛みを抑えられずにはいられない。
「私はね――」
 スローンはそこで一旦区切って、既に切ってある葉巻を口に咥えてそれに火をつけた。ブラインドから差し込む光が、嫌悪感を露に煙を追いたてるようにケリーには見える。
「私はね、別に手を引こうとしているわけじゃない。ただ、極力、危険は分散させたいんだよ」
「その結果がおじさま……いえ、バートン氏を死なせたんですよ!」
「言葉に気をつけたまえ」
「っ……申し訳ありません」
 スローンにしてみても、痛くない腹、というわけではなかった。今思えばバックアップ人員を割いたのは失敗の最大の要因であったし、専従の調査員の到着を待たなかったのも問題だ。その調査員はというと、ニューヨークから空港へと到着し、そこから現場に向かう途中で即興で作られたような作戦の存在を聞き、車載電話のコードを引き千切ったらしい。彼にはそのとき既に失敗が目に見えていたのだ。
「良いかね、この代理人は優秀だ。本部の友人からの推薦でもある。彼が失敗するようなことさえなければ、我々は余計な危険を冒さずに済むのだよ」
 スローンは言い聞かせるように一節一節を丁寧に言い終えると、再び葉巻を口に預けた。部下が現場で安い煙草を楽しみにして任務を行っているのを、彼は知っているのだろうか?いや、知っているからこそ、あんなに美味そうに葉巻を吹かせるのだろう。
 ケリーはしばらくの間、応接用のソファに腰掛けて気を落ち着けることにした。普段ならば上司の前、それもその人物のオフィスで煙草を吸うなど考えられないが、彼女はあえて自分の煙草に火をつけた。
 嫌味を一通り考えてみると、一つの妙案を思いついた。代理人はスローンの個人責任で雇うことになるだろう。その人物が失敗、あまつさえ死亡ということにでもなれば、スローンをあの煙の中から引っ張り出すこともできるかもしれない。
「……その代理人の名前は?」
 スローンは彼女の心中を知ってか知らずか、彼はにんまりと口を歪める。ライザには見せたくない顔だな、とケリーは毒づいた。
 そのとき、二人の目線がオフィスのドアのノックに引き寄せられる。スローンが「どうぞ」と声を立てると、扉が開いたのだった。
「メレム・ソロモンと申しますが、スローン支局長のオフィスはこちらでしょうか?」
 丁寧な語調には不釣合いな年恰好の人間が入ってきて、ケリーは思わず目を疑った。続いて耳も疑うことになる。
「ミスター・ソロモン、私がお電話をしたスローンです。そして彼女が事前にお知らせしたベントナー調査員です」
「はじめまして、ミセス……いや、失礼。ミス・ベントナー、あなたの仕事を奪うようで恐縮ですが、私も仕事ですので」
 握手の意味で差し伸べられた小さな手の前で、ケリーが硬直した。これはどういうことなのか。
「どうした、ベントナー君」
 不思議がったのはスローンだけではない。ソロモンもそうだ。もっとも、彼には嫌な予感(馴れっこではある)があった。そうして、彼の嫌な予感は的中したのだった。
「――子供じゃないですかっ!」
 
 
「なぁ、ソロモン」
「なんだ、ゼフィール」
 二人は昼に食べてなお残っていたホットドッグ――大分、味は落ちてしまった――をつまみながら、目的の場所へと歩きながら、こうしてわざわざ折角の連休初日に連れ出した理由をソロモンがゼフィールに話していた。
「お前ってさぁ」
「ああ」
 杓子行儀な言い方はお互い様といったところで、ソロモンはこの後、何を言われるかも見当がついていた。
「ある意味、国境が関係無いよな」
「……どういう意味だ」
「わかってくるくせに」
 人種・国籍問わず、皆が同じことを同じ人物に対して抱く。こればっかりはどうしようもない。若い時分に人間離れしてしまった我が身を呪うことは無かったが、ここまで陰険ないやがらせを全人類から受けるのは非常に腹立たしい。腹立たしいからこそ、ソロモンは、一々、述懐することはないのだった。
 それを……。
「それを一々、刺激するお前の頭が羨ましいよ」
「そうか?」
「馬鹿者。頬を赤らめるな。誉めたわけじゃないんだ」
 ゼフィールは何時の間にか食べ終えたホットドッグの代わりに、煙草を吹かして、そ知らぬ顔をしている。
「で、俺の視界を一々、刺激するあの女がベントナーさん?」
「そうだ。決してストーカーではないぞ」
 二人がその人物には気づかれないよう、意識的に視線を逸らしながら天気を気にするようにしている傍らで、その人物、ケリー・ベントナーはジャケットの襟をたくし上げていた。
「わかってるよ。どこの世界に、ストーキングに無線のコードをちらつかせて、仲間と連絡を取り合う奴がいるってんだ。他にも三人ぐらいはいるな」
「ああ。あそこの小脇に大事そうにバッグを抱えている女性と、さっきから何度も同じ道に向かっているバイク便の男。それに我々の後ろにいる背の高いヤッピーといったところか」
 つまらなさそうに一人一人を言い当てるソロモンに、ゼフィールは煙草の煙を向かわせた。
「うわ、何するんだ」
 手を顔の前でばたばたとさせて、ソロモンが煙を払う。その様を見て、ゼフィールは鼻を鳴らした。
「そうやって慌てていると、本当に子供だよな」
「貴様……」
「まぁ、良いじゃねぇか。お供がいたって、やることは変わらないんだからさ」
「そうだな。邪魔さえしなければ、だが……」
 最後に、ソロモンはケリーに視線を一瞥した。彼女はそれで尾行に気づかれているのを悟ったが、その次の瞬間には、ソロモンとゼフィールの姿は人ごみの中で掻き消えたのだった。
 とはいえ、ケリーには彼らの行き先がわかっていた。そして、彼らもそれを知っている。彼らは自分を嘲笑いたかっただけなのだ。彼女は含み多分に口元を吊り上げると、無線で他のメンバーを引き上げさせた。
「非番なのに、悪かったわね」
「いえ、気にしないでください」
「ありがとう」
 彼らが行くであろう一ヶ月前の悲劇の現場は、もうすぐそこだ。ケリーはバートンに撫でられた部分を確かめるように手を当てて決意を固めると、目的地までの路を手繰り始めたのだった。